日本民家の源流 韓国慶州 良洞民俗村
- S.Yamauchi
- 1月12日
- 読了時間: 2分
日本人の住まいはどこから来たのか。
2008年9月 韓国慶州の朝鮮王朝時代のヤンバン(両班)ムラにフィールドワークに出かけた記録の一部のご紹介です。
慶州は新羅(BC57-AD935)千年の民族固有の文化と仏教文化のほかに朝鮮王朝(AD1392-1910)時代の儒教文化がさかえたところです。
良洞(ヤンドン)民俗村は月城孫氏等に形成されたヤンバンムラで村全体が文化財として
1984年に指定されています。この村は紀元前(BC4世紀以前)に人々の居住が始まったとみられています。現在は200年以上経ている古民家が54戸保存されています。
この村は李氏と孫氏の両家を輩出した村でもあります。

香壇(上写真)
村に入ると一番目立つ建物です。李彦油が母の看病のために建てたものです。
当初建物は1543年で現在の建物は1976年復元されたものです。
この写真は門屋(ヘンランチェ)付近です。

香壇の奥の間(アンバン)(上写真)
左側に門屋(ヘランチェ)の屋根が見えます。正面の漆喰壁(白壁)の奥は湯突房(オンドル)です。建具は吊り上げられて開放され、京都御所などで目にする日本の寝殿造の源流ではないかと思われます。

湯突(オンドル)の焚口(上写真)
朝鮮は湯突・日本は畳。オンドルは半島北部の高句麗で発明されたが、南部の百済、新羅では使われず、高麗時代にようやく全半島で一般化したと言われています。日本の鎌倉時代に相当します。日本では畳の敷き詰めが始まる時代です。

上房と内房 湯突(オンドル):房(バン)の床
朝鮮の家では房=バンというのは部屋の総称です。湯突床は土壁のように左官のコテ仕上げでならし、その上に厚手の障子紙(和紙)を貼り、ニスで仕上げられている(堅くてアメ色に光りすべすべして、非常に清潔です)ちなみに壁も土壁コテ仕上げ和紙貼です。

茶室の源流か?(上写真)
日本の茶室の躙り口のような建具(左下)と日本の床の間のような、壁床飾り棚。

内障子(上写真)
朝鮮の障子は組子が室外側にあります(日本は室内側に組子)
室内側に貼られた和紙と外部の建具との間に空気層を設けることで、断熱効果を上げたのではと考えられます。
日本の住まいはどこから来たのか、改めて、韓国・中国・東南アジアの建築を見聞することの重要さに気づかされた旅でした。
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